セイット・アルスラハン陵墓

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セイット.アルスランハンのお墓の中。Seyt Arslan`han Maziri.

セイット.アルスランハンはカラハン王朝の三代目の王様スルタン.ストゥック.ブ グラハン(901ー955)の孫で、五代目の王様です。お爺さんのストゥックさんは 初めてイスラム教に改宗して、926年(即位)からカラハン王朝の国教を仏教から イスラム教に改宗させたんです。セイット.アルスランハンは、一回改宗して又仏教に 戻っていたホタンの仏教徒ウイグルと、イスラム教を普及するために971年から9 98年まで28年間カシュガル市から約75km東南のオルダムと言うところで戦争 をして、その戦争で亡くなったんです。伝説によると彼の体はオルダムに埋葬され、 頭はこのお墓に埋葬されたそうです。毎年ウイグル人はオルダム(75km東南にあ る砂漠がある村)とカシュガル市内にあるこのお墓と隣の町アトゥシ市の南にある 「スルタン.ストゥック.ブグラハン」のお墓をセットでお墓参りします。
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セイット.アルスランハンモスク。Seyt Arslan`han Jamesi.

カラハン王朝の4代目の王様セイット.アルスランハンのお母さんが、息子(王様)が 宗教戦争で亡くなってから記念に造ってもらったモスクです。時代は10世紀の末で す。このモスクの前にその王様のお母さんのお墓もあります。
(2000.3.4掲)