東葛探遊④ 葛飾郡初石新田

初石新田(はついししんでん)(注1)
〈流山市〉江戸川中流左岸,下総台地上に位置する。
 (現在:流山市江戸川台西3-4丁目・富士見台1-2丁目、富士見台、東初石1-4丁目、西初石1-5丁目、おおたかの森北1-2、東1・4、南1丁目 )

〔近世〕江戸期~明治22年の村名。下総国葛飾郡のうち。
近世中期、上野牧(かみのまき)開発に伴い同牧内に開かれた畑新田で、西は大畔新田・桐ケ谷新田、北西は中野久木村。享保15年(1730)小宮山杢之進・後藤庄左衛門の検地を受けて成立。幕府領として幕末に至る。同年の年貢割付状によれば高165石余、反別は下々畑7町6反余・林畑(注2)70町7反余・屋敷2反余。

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東葛探遊③ 東葛飾郡新川村

私が流山市富士見台に引っ越してきてほぼ50年が過ぎた。しかし今以て地元の人と交わることもなく、エトランゼ気分が抜けないと言うか、当地について知らないことが多い。
例えば「新川」、近所には「新川小学校」とか「新川農協」とか「新川耕地」など、「新川」という呼称が散見される。この「新川」とは何か? 町名や字名にはないようだ。

調べてみると明治から昭和にかけて「新川村」があったとのこと。そして「新川」は江戸川に由来するらしい。本稿ではこの「新川村」にフォーカスしてみたい。(上掲の写真は旧・新川村の現況)

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東十二丁目誌補解の補 覚書: 音坂佐藤家

私の家の本家を「音坂(おとざか)」という。東十二丁目では、明治維新前から続いている有力旧家の一つと言えるだろう。我家はその音坂の隠居分家で、「隠居屋」と呼ばれていた。
本稿では音坂の現在から数えて2代前の当主、素一(そいち)と3代前の当主、孝清(こうせい)について記す。素一さんは私の祖母の弟である。

素一さんについて、まず「稗貫風土記 第1巻 人物篇」(八木英三編 昭和26年4月発行)の記事を転載する。大東亜戦争とその前後を足早に駆け抜けた一人の男の物語…

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閑話: 楽音楽 Enjoying Music

私は音楽に詳しいわけでもないし、愛好家という程でもないが、音楽をBGM程度に聞き流すことはよくある。特に2年前に一人暮らしになってからは、テレビ放送を見ることが激減し、代わりにインターネットで音楽等を視聴することが多くなった。
本稿は閑話…最近見聞きしている音楽について書き散らす。
(画像をクリックすると動画が再生されます。)

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東葛探遊② 利根運河会社支配人・森田繁雄の足跡

利根運河のビリケンさんや利根運河大師を追っかけているうちに(注1)、両者の生みの親とも言える利根運河会社支配人・森田繁雄のことが気になってきました。「森田繁雄」とは何者なのか?如何なる経歴の持ち主なのか?

森田繁雄略歴
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東葛探遊① 利根運河のビリケンさんと新四国八十八ヶ所

私鉄・東武野田線(現在では「東武アーバンパークライン」と言うらしい)は大宮から柏を経て船橋に至る路線で、その途中、大宮から小1時間程の所に運河駅がある。「運河」とは変わった駅名だが、これは駅のすぐ北側を東西に流れる利根運河に由来する。

本稿は利根運河にまつわる「ビリケンさん」と「新四国八十八ヶ所」について紹介するものだが、先ずはその前置きとして「利根運河」について概観する。

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